秀吉の正室、寧々・北ノ政所は少壮の時代から秀吉を支え、人事の相談役にもなり家中をまとめていたが、自身の郷里である尾張出身者を重用して武辺者タイプを好んだ。一方、側室として秀吉の寵愛を受けた淀殿は、近江出身者の閥を作り殿中派を好んだ。秀吉の高齢化と共に、後の政権を睨んで北ノ政所が推す加藤清正ら尾張・武辺派と淀殿が推す石田三成ら近江・殿中派との溝は深刻化する。そして秀吉の死後、対立が決定的となった機に乗じて、家康は北ノ政所と組んで天下の実権を握る。北ノ政所は、家康の魂胆を見抜いていながら淀殿一派への憎しみがそうさせてのだった。
（初出「中央公論」1966年12月号）

粗漏者が多い秀吉の血縁の中で、唯一、奇跡と言っていいほど器量、人柄が傑出していたといわれる秀長(大和大納言)。幼名を小竹といい、秀吉とは異父兄弟である。秀吉に誘われ貧農の境遇から武士になった秀長は、天性の調整力と民政力、謙虚さで秀吉を支えた。大名や公卿の中には、豊臣家は大和大納言でもっている、とまでいう者さえいたが病気の悪化により、51歳の時に居城の郡山で亡くなってしまう。葬儀には、彼を偲んで大名や公卿、領民など20万人が集まった。彼が生きていれば、その後の豊臣家の行方も大きく変わっていただろう。
（初出「中央公論」1967年1月号）

徳川家康に仕えた藤堂高虎の侍大将・渡辺勘兵衛が物語の主人公。勘兵衛は何人もの大名に仕えてきたが、関ヶ原の戦いで主家が敗れて浪人の身となった。しかし、勘兵衛の侍大将としての力量から多くの諸侯から誘いを受ける。そんな中、藤堂家の使いの大葉孫六が勘兵衛を口説き落とし、世渡り上手だが戦下手として有名な藤堂高虎に仕えることになり、藤堂家の侍大将として大坂夏の陣に参戦することになった。物語のタイトルは、孫六の妻・由紀がいたずら心から眠っている勘兵衛の胸毛に唇を押しつけてからかう場面から。
（初出 「別冊文藝春秋」1961年12月25日号）

乱世というものは時に思いもよらないことを人間にやらせる。物語の主人公・世良修蔵のことである。人材不足が名もなき長州人・世良修蔵を薩長新政府による奥州鎮撫軍参謀にした。明治元年三月、大阪湾を世良ら薩長兵わずか200人が奥州平定に向けて出発した。奥州人の手で会津藩を討たしめようという世良らの要求に、仙台藩の重役たちは右往左往して返事を先延ばしにしたが、ついに数百年ぶりに伊達家出陣となった。しかし、その出陣風景は華麗で戦国時代の絵巻のように時代遅れなものであった。だが、その裏で奥州列藩同盟を密かに図る仙台藩は、周到に準備を進めた結果、世良斬殺を果たす。
（初出「オール讀物」 1968年8月号）

そのほとんどが利に聡い大名であふれていた戦国時代に、最後まで義に生きた男・秀家の話。母親譲りの眉目秀麗で素直な性格を持つ秀家を、秀吉は親子以上の愛情をもって可愛がり、やがて養子に迎え入れるほど引き立てた。秀吉の死後、五大老の一人として若輩ながら豊臣政権の一画を握るまでになった。だが、世情に疎くあまりの政治感覚のなさから、家康によって自家の勢力を大幅に失ってしまい、そのことが結果的に関ケ原における西軍の敗戦に繋がった。戦後、多くの西軍の大名が討ち取られる中八丈島に流された秀家は、そこで83歳まで50年間生き、関ケ原では敗者であったが勝者の誰よりも長く生き延びた。
（初出「中央公論」1966年11月号）

八条宮親王。弟帝であり同腹の兄はのちの後陽成天皇であった。素姓が高貴でない秀吉は、前例故実を破り八条宮を猶子にした。秀吉も八条宮もお互いに相手への敬意と好意を持っていたが、兄の後陽成天皇に実子が無いことから宮廷人として八条宮を戻すことになった。その後も秀吉は他界するまで宮廷・八条宮を尊崇したが、その後の家康の天下では一変して公家法度により活動を制限するなど宮廷を冷遇した。秀吉と違い、詩人ではない家康には宮廷の典雅さは理解できず、愛情が湧くはずがなかったのだ。
（初出「中央公論」1967年4月号）

織田信長が明け渡しを迫ったことで石山本願寺との合戦が始まった。戦いが3年を過ぎたころ、雑賀党の若者・市兵衛と播州生まれの僧・義観は使者として播州・三木城に送られることになった。三木城は中国の毛利軍攻めの秀吉に包囲されるが、城主の長治夫妻と忠実な家臣団が籠城戦のさなかだった。市兵衛は長治夫妻を敬い、ともに闘う決意をするが、一方の義観は念仏講で多くの人心を操るようになっていた。義観は、本願寺から城内の工作をするように命じられていたのだ。籠城戦が長引き、城内の食糧が底をついて餓死者が続出する中、長治は降伏を決意して自害する。
（初出「別冊文藝春秋」1961年3月28日号）

新撰組の伊東甲子太郎は、薩摩への接近を考えていた。 そんな中、元薩摩郷士の弥兵衛と出会った伊東は、近藤を説得して弥兵衛を新撰組に入れた。愛嬌のある弥兵衛はすぐに人気者になったが、実は間者として薩摩藩の大久保利通への報告を欠かさなかった。 弥兵衛の正体と伊東の企みを見抜いた土方は暗殺を決意、油小路で伊東の命を奪うが弥兵衛には逃げられてしまう。 逃げた弥兵衛だが、再び間者として越後への潜入を命じられるが、その途中で捕縛され、ついに絶命した。
（初出「小説中央公論」1963年10月号）